地震の恐怖、8歳の記憶
昭和58年5月26日の正午前。
小学3年生だった私は、週末に開催を控えた運動会の予行練習で校庭にいた。
練習もほぼ終わり、グラウンドにしゃがんでいた時だった。
突然の大きな揺れと「ゴー」という地鳴りのような音が響き、木造校舎の外壁や窓ガラスが今にも壊れそうだった。
あまりの恐怖に声が出なかった。気が付くと、足元には無数の亀裂が走っていた。
午後は休校となり学校を出ると、朝は何ともなかった通学路の至る所で隆起や地割れが発生し、水もあふれていた。
友達の家に立ち寄ると、床の間の畳が大きく盛り上がっていた。
幸いにもわが家は無事だったが、集落を回ってみると無残な姿となった家が何軒もあり、ただただぼう然とした。
その後は地震の被害や津波にのみ込まれた人たちの捜索活動などを伝えるテレビや新聞にくぎ付けに。
水道がストップしたため、給食はしばらくパンだけになったほか、おぼんを洗わなくてもいいように「紙」を敷いて食べた──。
そんなことも思い出される。
日本海中部地震から39年。
私の地震体験談は、いま記したことでほぼすべてだが、それでも津波をはじめマグニチュード、液状化現象といった用語を認識したのはこの時であり、中部地震がなければもっと先だったはず。
何より地震は恐ろしいものだと、当時8歳の少年には強烈に刻み込まれた。
きょう26日は「県民防災の日」。
行政が開催する訓練に参加するのは難しくても、身の回りの備えを確かめたり、実際に体験した人は当時を思い浮かべるだけでも「防災力」は高まる。
今年もそんな意義ある日にしたい。
(平)