「声」届くと信じて

 国会では連日、いわゆる「103万円の壁」を巡って政治の駆け引きが続いている。保険料負担などが生じる年収額の境目を引き上げることで失われる税収は7兆円以上になるという試算もあるらしく、失われた税収分をどう埋め合わせるかが問題だと理解しているが、税収確保が特に強調される議論に、何か釈然としない思いが残る。

 税金は国家の根幹である以上、税収確保に心血を注ぐのは当然なのかもしれない。とはいえ、1030万円の給料を得た末ならまだしも、103万円程度の収入でありながら、それ以上の収入があるのはかえって損とばかりに働く意欲が湧かない社会は、真っ当な社会と言えるのだろうか。あまりに税収確保の側面だけを見て、国民生活が置き去りにされた議論ではないのか、と思える。

 昨年のことになるが、県議選後の新議員に望む意見を有権者に聞いた際、「県議さんじゃなく、本当は国会議員さんに言いたいけど」と前置きした上で、103万円の壁を何とかしてほしいと熱っぽく訴える人がいた。そんな取材メモを振り返りつつ昨今の国会の議論を聞いていると、訴え続けると、遅ればせながらも有権者の声は確かに政治に届くのだと希望を持つ。

 一般的に若い世代ほど選挙の投票率が低い傾向にあるが、その理由に「自分の1票に意味があると思えない」という諦めがあると報道される。分からなくもない。特に国政選挙になると、自分の1票が果たしてどれほどの意味があるのか疑問に思えることも多々ではある。とはいえ、意思表示をしなければ、それこそチャンスはない。

 来年は参院選が行われる。大選挙区制ゆえにさらに身近に感じにくいが、それでも「届く」と信じて声を上げたい。

(岡本 泰)

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