郷愁を運ぶ廃校の桜

(4月14日)

 ソメイヨシノの5分咲きぐらいを愛(め)でるのが好きだと話す40代の女性がいた。可愛(かわい)らしく咲いてこれからもっと広げそうな花、もうすぐ開きそうなつぼみ、それらが重なった様子が活き活きとした春を感じさせるためだそう。「花盛り」の満開は華やか過ぎるらしい。
 こちらは満開を経て、一枚一枚はらはらと風に乗って散り、その1枚でも観桜会の宴の杯に浮かんでくれれば風流と感じ、「散り始め」を好み、その後の花吹雪、池に薄紅が浮かぶ「花筏(はないかだ)」はなお良しだが、桜の見方も人それぞれと教えられた。
 能代山本の「桜だより」を、彼女も含めあの人この人が届けてくれた。その中に、廃校となった母校の小学校の情報も。「満開のようなところもあった」と。早速出掛けて旧校地をぐるりと巡ると、日当たりの良い場所のソメイヨシノ1本はほぼ満開の状態、7分咲き、5分咲き、「咲き始め」も。好天に誘われて近所の住民も見られ、スマートフォンのカメラを向けていた。
 半世紀前の小学校時代に、学校の桜の記憶はほとんどない。まだ植わさって年数がそれほど経っておらず、樹勢がなくて見事な花を咲かせていなかったからかもしれない。あるいは、陽光の中で体育や遊びに夢中で、桜に興味がなかったこともあるだろう。
 しかし、年齢を重ねて、この時期に母校周辺を通るたびに気になり、開花を楽しみにし愛(いと)おしんでいる。立派に育ち貫録を増していることにも。廃校になっても維持管理され、やがて新しい桜の名所になって毎年見事に咲くことは誇らしく、小学校時代の郷愁を運んでくる。
 少子化で学校の統廃合が進んでいる。白神山地を望みながら広域農道をドライブするついでに、沿道近くの能代市北部と八峰町の廃小学校を訪ねた。当然のように桜があり、間もなく満開になる気配だった。
 特色を活かした学校での、子どもたちの歓声や、教職員や父母たちの温かい眼差(まなざ)しが桜とともに浮かんだ。(八)